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日本のテキスタイルデザインの先駆者 粟辻博氏との歩み

布を学ぶtextileStudy no.1

鮮やかな色彩と大胆な構図で日本のテキスタイル界に革新をもたらしたテキスタイルデザイナー・粟辻博 (1929~1995)。

彼がフジエテキスタイルとともに手がけた数々の仕事は世界中で評価され、ニューヨークやボストンへ輸出、シカゴ空港へも納品されたほか、
米国フィラデルフィア美術館をはじめとするさまざまな美術館に永久保存されています。

粟辻博 

フジエテキスタイルと粟辻氏との出会いは1963年。
冨士榮 良治(ふじえ よしはる・フジエテキスタイル2代目社長)は、イチョウの葉をかたどった案内状に誘われ、粟辻氏の個展に足を運びました。

初対面の粟辻氏とテキスタイルの新たな可能性や未来について語り合い、意気投合。
すぐさま粟辻氏をデザイナーとして起用し、共同開発をスタートします。

当時はデザイナーを起用した商品開発自体が珍しく、その点でも先駆的な取り組みでした。
数年の試行錯誤を経て、モダンで明快な粟辻デザインは一世を風靡、フジエテキスタイルも業界で知られる存在に。
両者のパートナーシップは30年余りにわたって続きました。

1977年 ショールーム

フジエテキスタイルは2005年に、1960年代~1980年代に発表した粟辻氏の代表作を復刻。いまも多くのファンに愛され続けています。


美しい色には理由があります

鮮烈な色づかいが特徴の粟辻デザインを象徴する代表作の一つが「オーガスト」(1973年)と「コロナ」(1974年)。

オーガスト   (1973)
コロナ    (1974)


いずれも色の上からさらに別の色を重ねる「重色」という染色技法を用いており、重なる部分の色合いも緻密に計算されています。
高度な技術を要する難しいデザインを見て「できない」と突っぱねる染工場を、粘り強く説得して実現させていった当時のフジエテキスタイル開発者の苦労話が語り伝えられています。

デザインにおいて決して妥協を許さない粟辻氏との長年の共同制作によって、フジエのものづくりはおおいに鍛えられ、磨かれました。

重色による色の深みはハンドプリントならでは。


現在、復刻版はハンドプリントで生産しており、デジタルプリントでは表現できない、手染めならではの深い奥行き感を感じさせます。

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